今年の初めにエントリーをしたところからスタートしました、私のコンテストへのチャレンジ。
途中コロナ問題の影響で、関東甲信越エリアのエリア大会は、数回の延期を余儀なくされました。
日本大会も1度延期になりました。
大丈夫かな。
開催できるかな。
という状況の中でしたが、万全のコロナ対策を行った上で、無事、9月1日に開催が叶いました。
気づけば、約8ヶ月。このコンテストに向けて、頑張ってきたんだなあと、なんだかとても感慨深い気持ちになります。
先日ランチを食べながら、
「コンテスト当日の話もいいけど、
コンテストに向けて千枝が何をしてきたのか、
を話したら、コンテストに興味がある人の役に立つんじゃない?」
と、夫に言われました。
そうか。そうかも!と思いました。
私のコンテストへチャレンジに応援をしてくださっていた患者さんからも、いつから準備を始めたのか?準備期間は何をしたのか等、ご質問をいただいていたので、その方向でも、書いてみようかなと思いました。
私の経験が、もし少しでもどなたかのお役に立つようであれば嬉しいです。
とりあえず最初に、私が「コンテストに挑戦してみようとしたきっかけ」から書いてみたいと思います。
●コンテストに挑戦しようと思ったきっかけ
私が「コンテストに挑戦しよう!」
と思った理由は、以前、動画でも少しお話ししましたが、ブログでも改めて書いてみます。
祖母のことがきっかけでした。
昨年秋に、祖母が他界したのですが、うちのちょっと複雑な家庭環境もあって、ここ10年くらいでしょうか、私がメインで、祖母の介護に関わっておりました。
介護といっても、私が行っていたのは直接の生活介助の介護ではなく、生活のサポートや介護関連の事務処理のような形です。
(祖母一人暮らし時期は、家事や生活の介助はヘルパーさんにお願いしておりました。)
祖母が一人暮らしが難しくなってからは、施設探しのため、かなりの数の特別養護老人ホームを見て周りました。
(それもあって、私、年齢の割に介護施設に精通するようになりました。)
施設に入ってからは、寂しがるといけないので、最低月に1度の訪問を私の義務にして、祖母のところに通いました。
(義務といいながらも、振り返ってみれば、祖母に会うことを私も楽しみにしていたのだと思います。)
祖母が他界する直前は病院での入院生活。頻繁に病院から呼び出しがあったので、仕事をギリギリ調整しながら、病院に通いました。
そんな状態で、昨年の10月に祖母が他界。
介護関連の面では、本当にすっごく大変な日々が続いていたけれど、でも、大好きな祖母だったので、なんだか、ポッカリと心に穴が開いたような気持ちに。
子供もいないし、この先、私、なんのために生きていけばいいんだろう。
なんて、危険な考えも、少し頭をよぎってしまう状態に。
そんな時に、コンテストというものを知りました。
祖母は、他界する直前まで、昔私が、20代の頃に別人みたいに綺麗にスタジオで撮ってもらった写真を、大事に取っておいてくれていたんです。
叔母から、
「可愛い千枝ちゃんが自慢だったみたいで、いつも見せてくれたのよ。」
と言われました。
お洒落に興味なし。お化粧も苦手な私でしたので、
「千枝は可愛いんだから、
ちゃんとすればもっと綺麗になるんだよ。」
「おばあちゃんだってちゃんとクリームつけてるのよ。千枝も女の子なんだから、もうちょっとお肌の手入れしなさいよ。」
と、いつも祖母に言われていました。笑
だから、珍しく綺麗にお化粧までして撮ってもらった孫の写真が、祖母にとってはきっと、すごく新鮮でうれしかったのだと思います。
そんな祖母の言葉が、ふと浮かび、私がコンテストに挑戦したら、祖母が喜んでくれるんじゃないか。って思ったんです。
そんな流れから、勢いでエントリー。
今思えば、私が祖母を失って、心が迷子になりかかっていたので、祖母が背中を押してくれたんじゃないかなって思っています。
そこから、
まずはエリア大会に向けて、色々準備をはじめました。
(頑張ってきた内容については、すごくいっぱいあるのでまた改めて。)
「自分が前に進むための、目標が欲しい。」
これが私の、エントリーのきっかけです。
そんな思いから、コンテストへの挑戦がはじまりました!
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